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2017/07/21 11:31 |
1章  若月小次郎  ⑦





                     7


 
 
 
大きい。
だがその脚取りに、ありがちな重苦しさはない。
歩を進めるたびに体の外に力強く張り出した筋肉と、その内側の骨格が体重をしなやかに受け止め、はずむようだ。
 耳ごと頭部を覆っている漆黒のメンコ(覆面)には、目の部分に金網状の矯正馬具『ホライゾネット』が装着されており、その表情を覗くことはできない。
ただしすでに全身を濡らしてしたたりる大粒の汗と、猛獣の牙を思わせる見たこともない形状のハミを噛んだ口角からときおり落ちる白い泡の塊からわかるように、激しい気性の持ち主であることは傍目にも疑いようがなかった。
「あれが、噂のバケモノ馬か」
「神薙調教師のせがれが裸馬で乗りこなしたっちゅうけど、ほんとかね?」
「いや、そんな芸当できるわけねぇべ。おおかたどこぞのブン屋が膨らましたホラに決まってるわ」
 離れた場所にいる長門調教師たちには聞こえない声でそんな会話が交わされた。
右腕を三角帯で吊った長門は、すり傷の残る顔に固い表情を浮かべながら、灰色の巨馬を見守っていた。
先だっての騒ぎで長門厩舎のベテラン厩務員4人が大小のケガを負った。
そのために今日は厩舎でも腕利きの厩務員に引かせているのだが、かの馬が本気で反抗すれば、そんなことは何の気休めにもならないことを長門は身をもって知っていた。
 シャイングロリアという馬名で正式に競走馬登録をされた芦毛はそんな人間の思いを知ってか知らずか、ときおり天を仰いでは大きな鼻息をもらした。
「皆様、お待たせいたしました」
 スピーカーを通した女声が響いて、人々はコース脇に設けられた木製の壇上に視線を送った。
 鮮やかな青のドレスをまとった二条院しづかの登場に一同から「おお」という声が漏れる。
しづかは腰まで届く長い髪の上にはツバ広の帽子をかぶり、その口元にはピンクのグロスルージュが輝いていた。
ほっそりした腕とミュールを履いた白い足が陽光のもと、なまめかしい色気を醸し出す。
「まずは父よりご挨拶がございます」
 礼装の着物をまとった白髪の老紳士が段にのぼると、大きな拍手が起こった。
「二条院英悟でございます。本日は私事ながらこのように多くの方々にお集まりいただき、まことに光栄極まる次第でございます」
 とうに還暦を過ぎている老人だが、気力と威厳に満ちた姿である。
深く刻まれた顔のしわと柳のごとくのびた白髭。頭はすでに禿げており、太い眉とやや垂れ目な細い眼の持ち主だ。
しづかとは父と娘にしてはあまり似ていない方だろう。
 二条院翁は、シャイングロリアに関して簡潔にプロフィールを語った。
母グロリアススカイは翁の持ち馬としてイギリスで走り、英オークス(G1)を勝った名牝である。
引退後はアメリカに移動して繁殖生活を送り、初年度からフロリダダービーを勝ちケンタッキーダービー2着の実績を残したグロリアスフォーリナーを産んだ。
 そして1年間の空胎期間を置いて誕生したのがシャイングロリアである。
「わたしも長く馬主をやっておりますが、未だダービーには縁がありません。来年こそはこの馬で必ずダービーを勝つのだという意気込みで、このたびこの馬を日本で走らせることにしました。ただし……」
 そう言ってマイクを口から外して二度ほど咳きをした。
「ただし、この馬は闘争心が並外れて強く、巧く乗りこなせる騎手がいるかどうかが気がかりでありました。アメリカの牧場時代は併せ馬の調教もろくに出来ず、気性を落ち着かせるためにさまざまな処置が施されましたが、そのいずれもがうまく行きませんでした。厩舎にまぎれこんだ子鹿を噛み殺したこともあったと聞きます」
 ぞっとするような話に一同はざわついた。
「しかし、これは日本競馬界にとってもわたし自身にとっても幸運と言うべきでしょう。われわれは新たな才能の持ち主に恵まれた。その人物こそ昨年の天皇賞(秋)において私の持ち馬シャインレオニドスを勝利に導いた神薙舜ジョッキーです」
 そう言って手を向けた先には白のポロシャツにデニム姿の舜がいた。
後ろ手に調教ヘルメットとムチを持っており、どうやらこのまま騎乗するようだ。
 先ほどと同じように拍手が沸くが、舜は微笑むこともなく会釈をした。
もともと口数も表情も少ない。競馬での勝利ジョッキーインタビューや雑誌の取材でもポツポツ答える程度で、お世辞にもマスコミ受けはよくない。
アイドル顔負けのルックスと、天才的競馬センス。
次世代の若きカリスマは極めてシンプルだった。
 二条院翁が続ける。
「論より証拠。この人馬の相性をみなさまにご覧にいれましょう」
 舜は灰色の巨馬に歩み寄った。
 網状の目覆いをした馬は、今日も全身から発散するその漆黒のオーラが目に見えるほど、ただならぬ気配を放っていた。
その様子を見て、舜は、今にも破裂しそうだな、と心の中でつぶやいた。
「グロリア……」
 気ぜわしく動いていたその鼻先がピタリと止まる。
 厩務員の扶助を得て舜は流れるような動作で鞍にまたがった。
張り詰めた気配が股の下から温かなぬくもりとともに伝わってくる。
シャイングロリアは鞍上の命令に従って、ゆっくりとウッドチップの馬場へと入場した。調教コースはいつしか静まり返っていた。
 
 
 時間は正午近く。
うす気味悪いほど晴れた空から照り降ろす太陽が眩しい。
 閑散としたコース内、逞馬はゆっくりと脚を持ち上げて周回をはじめた。
 長い首をしきりに地面に近づけて黙々とダク足を踏むさまは特にこれといった特徴もない。
規則的な蹄の音とともに脚元のウッドチップが跳ねた。
鞍上の指示に従って芦毛はスピードのギアを上げていく。
 速脚もほどほどにキャンター(駆け足)がはじまった。
 さらに速度を上げ、俊敏な脚さばきに馬体がスッと沈み込む。
 おおむね800mほどコースを回ってから、『10』と書かれた残り1000mを表すハロン棒を通り過ぎた場所で、あらかじめ体を温めて待っていた2頭の鹿毛馬が合流する。
 他馬が併せてきたことに気づいて、警戒したシャイングロリアの両耳が後方にしぼられる。
 左右から馬体を併せてきたのはいずれも競走馬としては最上位クラスである『オープン馬』だった。
歴戦の強者に挟まれ実戦さながらのプレッシャーがかかるが、舜は手綱を長く持ったまま微動だにしなかった。
 馬上ではいつものように風を切る音だけが聞こえていた。
 ゴーグルごしに見える前方に、新たな一頭の黒鹿毛が待っている。
「たった今、併せ馬の先頭に加わったのは先の目黒記念を勝ちましたシャインクウガ(父ダンスインザダーク)です」
 ふたたびマイクを手にしたしづかの声が響く。
 フタをされる形で前方を塞がれた。
軽快な脚どりで前を往く馬の、後ろ脚が蹴り上げたウッドの破片が腕や顔といわず全身に叩きつけ、股の下からシャイングロリアが不快げな唸り声をあげた。
緩やかな右周りのカーヴを4頭のサラブレッドが雁行隊形をつくって駆けて抜けていく。
前と左右を塞がれたままでは動きようもないのか、巨漢の芦毛は包まれた状態に苛立ちを隠せずに何度も首を上げようとしていた。
「長門君、例の指示は彼らに伝えてあるかね?」
 二条院英悟は表情をピクリともさせずに長門調教師に言った。
「はい、シャインクウガら3頭の調教助手には完全に包囲し、一切の手を抜かないよう指示を出しました。あのような形になれば進路を開くことはまずないでしょう」
「ふむ。それでいい」
「お父様、どういうことですの?」
 怪訝な顔をして、しづかが訊ねた。
「神薙君たっての希望でね。今回の公開調教では実戦形式で行なうことになった。無論、スパーリングパートナーである彼らにも、負かせるなら負かしていいと伝えてある」
「そんな!」
 しづかは、やや色を失って声を漏らした。
 完成された古馬を相手に実戦に近い併せ馬をするのと、実戦をするのでは全く違う。
 二条院翁はシャイングロリアにまさしく競馬をさせるというのだ。
 セレモニーもお披露目もへったくれもない。
「なに……GⅡ馬と互角にやれることをアピールするためにわざわざこんな舞台を用意したのではないよ。あれは別格だからね」
「でも、グロリアはまだ成長途上の2歳馬。調教とはいってもいきなり重賞クラスの古馬に本気でぶつけるなんて」
「いや本当はレオニドスと対戦させてやりたかったのだがね。残念ながら故障してしまった。目黒記念を勝ったクウガあたりではむしろ荷が重いかもしれんな」
 すると長門が口を開いた。
「会長。わたしには舜はわざとあのカタチに持っていったように見えますが」
「ふむ、私も同意見だ」
 そう言うと二条院英悟は口元を綻ばせた。「さてここから何を見せてくれるのかな」
 愉しげな表情をしながら馬場を見つめている実父の隣で、しづかは状況をただ見守るしかなかった。
「舜クン……」
 コーナーを回りきり直線に向いた頃、舜とシャイングロリアには全くと言っていいほど包囲から抜け出す隙間がなかった。
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2007/09/07 02:16 | Comments(0) | TrackBack(0) | 未選択

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