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2024/03/29 08:48 |
2章  中央デビュー! ②




 人間の基準でいうなら六畳一間くらいしかない馬房のなかでその馬はじっとしていた。
 4本足とも靴下をはいたような白い毛と顔の真ん中をタテに走る大流星の、小さな栗毛。
 競走馬名アカネツバサオー。
 何も乗せていないその背中にどこから飛んできたのか、テントウ虫が羽根を休めていた。
 馬房では暇らしく、うとうとしたりたまに馬栓棒のうえから首を出して外や厩舎のなかを見たり。
 競走馬は毎朝の運動後、そのほとんどが狭い馬房にいる。
『あの子、こないかなぁ……』
 ツバサオーは眠そうな眼をしながらつぶやいた。












【    1000万下   福島  1700m   ダート  良    】







 大地を唸らせる地響きをあげ、若月厩舎のリーサルウエポン(父タヤスツヨシ)が秀峰・会津磐梯山を背に福島競馬場のダートコースを駆け抜けていく。
 鞍上の依田犬介は手綱を通して伝わってくる抜群の気配に内心喜びつつ、足慣らしがオーバーワークにならないよう馬をなだめた。
 歴戦の古馬ということもあり、リーサルウエポンは落ち着いたものだった。
 すでに9歳という年齢ながら馬には傷んでいる様子はまるでない。むしろ今が全盛期といえるような好調さだった。
 鉄製のゲートに13頭の馬が収まり、前扉が開くと一斉に各馬が飛び出した。
 やや出負け気味になったリーサルウエポンは慌てずに内への進路をとっていく。発走直前の単勝は3番人気(単勝オッズは6.5倍)。
 転入緒戦としてはかなり期待を背負ってしまった感があるが、犬介は気楽に考えていた。
 今回のレースで強力なライバルとなるのは関東のベテラン大道茂雄が手綱をとっているラクエンエース(父フジキセキ)である。
 前走は中山の1000万特別戦で2着に好走、今回は万難を排して『ローカルの鬼』の異名をもつ大道を鞍上に配してきた(単勝オッズ2.8倍)。
 大道はローカルに強く大レースでは用なしという、いわゆる一流と呼ぶには至らない騎手だが、乗った馬の持ち味を引き出す技術には定評がある。
 ベテランならではの政治力があり、実力馬の騎乗を集めるのが得意で、彼が乗る人気馬はたいてい順当に首位を争う。
 若手もその威光を恐れて無理にレースをかき回すことはしないため、ここ数年来、福島や新潟という東のローカル開催は彼にとって格好の稼ぎ場所になっていた。
「おい、依田ぁ!」
 隣を併走する鹿毛の馬上で騎手が言った。
「人気馬に乗ってるからって余計なことはするなよ。ここもきっちり大道さんを勝たせろ!」
 あまり人気のない馬に乗っている、犬介よりやや年上の若手騎手が大声で言う。
 デビュー5年目の脇田寛という男だ。これといった成績もない地味な騎手である。眼が細く、いつもつまらなそうな顔をしている。
 そんな男を犬介はゴーグルの下の眼で一瞥した。
「うるせーな。そんなに先輩様が好きなら、汚ねぇケツでもなめまわしとけ、バカヤロウ」
「なんだと―っ!」
 脇田は怒り狂ったが、なにしろレース中だ。
 犬介はさっさと頭を切り替えて先頭から二番手を追走しているラクエンエースを見やった。さほど離されてはいないし、十分に射程圏内である。
 犬介には秘策があった。
 たまたま以前から噂話に聞いていたのだが、それを試してやろうと3コーナーを過ぎたあたりでリーサルウエポンに進出を促した。
 リーサルはやはり道営の猛者である。小回りの器用さは折り紙つきだった。スルスルと内側を加速して第4コーナーが終わる直線の入口で、1番人気、大道のラクエンエースに追いついた。
 大道はぎょっとして後ろを確認する。超大型のリーサルが内側をあがってくるとは思っていなかったようだ。
「コラ、とっつぁん!」
 ぶしつけな言葉が犬介の口から発せられた。
「腰痛が悪化してるらしいなぁ、おれと追い比べしようぜ」
 2頭は併せ馬の形になって、騎手同士の追い比べがはじまった。
 余力を残した馬がしのぎを削って前へ前へと突き進む。
 後方からも末脚を温存していた馬たちが続々と押し寄せてくるものの、ゴールまでに飲み込まれる勢いではなかった。
 そもそも1番人気を勝たせるお膳立てだったのだから、犬介にとってはベテラン1人の鼻をへし折るだけで充分だった。
 残り50m地点でラクエンの脚色が怪しくなり、鞍上は力ない尻鞭をぺしぺしと叩いた。
 余裕綽々の表情でリーサルウエポンは中央緒戦を飾った。
「チキショ―ッ!」
 検量室の前で大道が地面にむかって投げつけたヘルメットを、慌ててバレットが拾いにいった。
 あの人どうしたの、と楓は犬介に尋ねる。
「知らね……」
 物凄い表情でこちらを睨み付けるその視線を浴びながら、涼しげな顔に玉の汗をかいた犬介は後検量のために検量室へと入っていった。
 リーサルウエポンもまた全身に大汗をかきながら鼻の穴を大きくしている。
「おつかれさん」
 広く大きな鼻筋をナデナデしてやると、こちらのベテランは首を上下させ、誇らしげに鼻を鳴らした。










【     新馬      函館  1200m  芝  良     】





 翌日、函館競馬場。
 快晴の良馬場発表となった開催に多くの競馬ファン、家族連れが訪れていた。
「パパァーッ!」
 広々とした馬主席の端から手を振る幼い息子に苦笑しながら、ネオブラッド・ジャパン東洋エリアマネージャー・鷹司忍は本馬場の大型ビジョンに目を移した。
 そこには1頭の青鹿毛が、青地に黒い縦じまの勝負服をまとったジョッキーを背に佇んでいる姿が映し出されていた。
 父は欧州の短距離王バーンズアロウ、母はフランスのディアヌ賞(G1)馬クレオパトラ。
 超良血馬である。
 調教と前評判からすでに単勝オッズは1.4倍となっている。
 しかしスレイプニルと名付けられた馬は黒くつややかに見える馬体以外とくにこれといった特徴をもたない馬だった。鍛え上げられた強靭な筋肉もなく、雄大な馬格もない。
「函館競馬場の雰囲気はいかがですかな、鷹司さん」
 離れた席で数人の同じような馬主たちと話していた四谷和夫という老紳士が、仲間たちの輪を抜けて、競馬新聞を片手にやってきた。
 四谷は大阪で菓子商を営む古株の馬主である。そして次の新馬戦には彼の持ち馬であるレザンウォーカーという馬も出走する。
 レザンウォーカーは父サクラバクシンオーの快速血統馬である。調教の動きがよく、2番人気に評価されている(3.3倍)。
 筋肉豊富な鹿毛の馬体は重量感があっていかにも走りそうだ。
「ええ。とても見晴らしがよくて爽やかなところですね」
「そうでしょう。札幌もいい所だが、あちらは都会ですからな。毎年、最初に新馬をおろすのは函館と決めているんですよ」
 丁寧な言葉とは裏腹にその眼の奥は冷ややかに座っていた。
 アラブの犬め、とでも思っているのだろうか。
 産油国という巨額の資本を背景とした競馬組織『エクリプス』は各国にその名をはせている反面で多くの軋轢を抱えている。
 競馬とは所詮、資本力の優れた者が勝つスポーツである。アラブの王侯貴族が圧倒的な資金にモノをいわせて他を屈伏させているように映るのは仕方ないことだ。
 個人の財産で馬を走らせている者からすればさぞ鬱陶しく思えるのだろう。
「ま、お互い楽しみましょう。もしかするとこのレースあたりは私の馬もがんばってくれるかもしれないからね」
「ええ。好レースを期待しましょう」
 嫌な顔のひとつせず、鷹司は答えた。
「ところでね、あの馬はスレイ…なんとかっていうのはそちらの軍団では何番手くらいなのかね? こう言ってはなんだが、あまり見栄えしない風に見えるんだが」
 四谷は少し変わった質問をした。
「おっしゃる通り、まだまだ仕上がり途上ですよ。だいぶ人気に祭りあげられてしまいましたが……しかし彼はクラシック路線のカテゴリーで言えば5本の指に入る実力者です。ああ見えてなかなかやります」
「ほ、ほお……ではダービーが楽しみな存在ですな」
 老馬主の言葉に鷹司は、いえ、と首を振った。
「彼には年末の朝日杯とNHKマイルカップを獲らせる予定です。ダービーはまた別の馬が獲る予定ですので」
 ゲートが開いた。
「むう。ご存じかとは思うが、ならばあなたの元にはあの神薙厩舎のバケモノ馬を倒す実力をもった馬がいるということですな」
 鷹司はさも当然という表情で「ええ」と答えた。
 馬場ではスタートから熾烈なスピード比べが行われていた。
 先頭を走ろうと懸命にレザンウォーカーが疾走する。しかし、そのすぐ外から黒い影が楽な手ごたえで易々とレザンのハナを叩いて先頭に立った。
「現状で戦わせても勝てる馬は……おそらく2頭。ただし私のボスは気まぐれなので、気に入った馬なら海外で使うことも考えられますがね」
 口元にこぶしを当てて鷹司は唸った。
 その間にもスレイプニルは2番手以下を引き離していく。
「しかし、あのシャイングロリアという馬もダービーまでに今より成長しているでしょうから、こちらもまたベストを尽くす必要があるでしょうね」
 短距離戦だというのに快速が自慢の愛馬がすでに何馬身も千切られ、四谷は指を震わせていた。
「な、なんだね、あれは」
 場内のテレビ放送には1頭の馬しか映し出されていない。
 馬主席がオオオという声に包まれる。
 カメラがいっぱいに引いて撮影しても間に合わないほどの大差でスレイプニルは静かにゴールを駆け抜けていった。
 出走制限がかかるタイムオーバーまでたっぷり3秒以上たって後方の馬群がゴールに到達する。その頃にはレザンウォーカーは最下位についていくのがやっとだった。序盤でスピードを出しすぎたのが禍したようだった。
 四谷は癇癪ぎみにまくし立てた。
「あれが、あれが5番手だと!? 大言壮語にしか聞こえんわ」
「いえ、2400では間違いなくそんなものですよ。2000の中距離なら3番。そしてマイル以下ならば無敵です」
 馬場にある電光掲示板に、赤いランプで『レコード』という表示がされていた。
 無意識なのか、四谷の口から糞、という言葉が漏れた。そして、
「皆が思っているぞ。おまえたちは、恥を知らない、し、侵略者だとっ!」
 しわ顔を紅潮させて言い放った。
「ご批判の気持ちは重々。たしかにこれではフェアな勝負とは呼べない」
 馬とスタッフをねぎらいに行くために立ち上がった鷹司は小さな老人を見下ろした。
 その瞳は冷たい井戸の底のような色をしていた。
「だがね、踏みつぶされる者の気持ちをいたわって、こちらもいちいち勝負などできないでしょう?」
「あ、あ……ぁ」
 有無を言わせぬ迫力に気圧された四谷は、ただ恐怖に言葉を失った。







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2008/01/17 11:58 | Comments(0) | TrackBack() | 未選択

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