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2017/10/23 00:40 |
2章  中央デビュー! ⑤





 清涼な空気を肺いっぱいに満たし、北国の空にむかって楓は両腕を突き上げた。
「北海道に…来ぃちゃったど――っ!!」
 新千歳空港のターミナル出口を抜けると、生まれてこのかた修学旅行以外ではろくに関東も出たことのない楓にとって、そこは未知の土地が広がっていた。
 美浦を早朝に出てきた甲斐あってまだ時刻は昼過ぎである。
 羽田を出発するときは曇っていた空は、透き通るような青い色をしている。
 飛行機の機内からいまだ興奮冷めやらない楓は、子供のようにウズウズしながらとりあえず空港の建物をバックに携帯電話のカメラで満面の笑みのセルフショットを1枚撮った。
 ひらひらした自称カワイイ系のベージュ色のトップスと、スキニーの黒デニム、あまりヒールの高さのないサンダルをはいている。最近伸ばしている髪はお出かけ用に上げてまとめて、頭の上で髪留めでとめている。
さらに楓にしてはめずらしくやや濃いめのはっきりとした化粧をしていた。
「……旅行かっ」
 黒い革のバッグを手にした小次郎が青白い顔で言い放つ。
 こちらは銀糸の刺繍が入った白い半袖のTシャツにLeeのブルージーンズ、ティンバーランドのロングブーツという軽い身なりだ。
 黒縁の眼鏡のレンズには茶色いスモークがかかっていたが、その眼には力がない。
「だって、北海道に来るのなんて初めてなんだからしょうがないじゃないですか。しかも経費で♡」
 話し合いの結果、というよりも厩務員頭の熊五郎が小次郎についてくるわけにもいかず、車の免許を持っている楓が今回はお供をすることになったのである。
 美浦にいるうちに厩舎のトラックで何回か練習を重ねた成果もあり、それなりに周りも納得する程度の腕前になった楓だが、そのあまりのハシャギっぷりに小次郎は不安なため息をついた。
「よし……そんじゃあ、レンタカー借りて早速、日高に向かうぞ」
「はぁ―――い!!!」
 千歳の市街地を抜けて、楓が運転する紺色のマーチはウトナイ湖を左折して一路、日高を目指した。
 海沿いにあたる苫小牧の工業エリアを過ぎると、あたりの景色は一変して広大な緑の丘陵地に変わった。
「うわぁ」
 ようやく現れた北海道らしい風景に、すっご~い、と楓は声をもらした。
 助手席でナビをしていた小次郎は相変わらず調子が悪いらしく、
「こっからはずっと一本道だからな」といった。
「え、そうなんですか!? あっ、ていうか寝るとかアリ? ひどい、ひどい、ちょ―わがままだし、この人!!!!」
「新冠につくまでファラオは眠りにつく……」
 数秒と経たずに寝息を立て始めた小次郎はそう言い残して寝入った。
「ウェ~ン、ありえない。てか『ししゃもの町、鵡川へようこそ』ってなんなのよぉ」
 道路を挟んで右手に太平洋、左手になだらかな丘がつづく風光明媚な海岸沿いの道を、車は60キロそこそこの安全運転で進んだ。
 陽の光が海上のさざ波に反射して白い光を放ち、目を奪われる。
「おおおっ!」
 じきに左手に徐々に牧柵に囲まれた放牧地がちらほら見られるようになってきて、そこで放されているサラブレッドたちが長い首をのばして草を食む姿が見えた。
 楓が車を走らせている国道235号は別名『黄金道路』と呼ばれている。
 それは文字通り、競馬に人生を捧げた無数の人々が通った道である。
 黄金を求め、黄金を手に入れ、そして黄金を失う者たちが一様に集まる道。
 人々の野望や希望、絶望といったものがアスファルトに染み込んでいるからなのかはわからないが、道路はところどころに歪みが目立った。
「先生、そろそろ新冠につきますよー」
 小一時間ばかり走ってようやく静内の手前にある新冠が近付いてきたことを表す看板を通過した頃、楓は助手席で指をからめて眠っている小次郎に言った。
「むお……っく、ブハァ~」
 大きく伸びをした小次郎は眠そうな目を何度かまばたきした。
「14時か。悪くない時間だな」
 腕時計で時間を確認しながら独り言をいうと、
「ほんじゃまぁ、新冠の内海牧場あたりから攻めますかね」と続けた。
 2人を乗せた車は緩やかな丘を登り、『サラブレッド銀座』という看板がある展望台の手前の道を左折した。





 夕暮れが近くなった頃、楓と小次郎は静内の中心街を『二十間道路』方面に入ってしばらく走った場所にある静内川のほとりの公園で休憩していた。
 公園といってもこれといった遊具もないサラ地のような場所に自動販売機が一台あるだけで、あとは草むらである。
「先生ぇ……」
 冷たい缶のロイヤルミルクティーをしゃがみながら飲んでいた楓は、隣で両足を投げ出している師匠に向かって言った。
「ぜんぜん駄目じゃないですか……」
 新冠で5軒、ふたたび国道に戻ってから静内に着いて2軒。
 牧場へは行けども行けども、色よい返事が返ってくることはなかった。
 冷静に考えて初夏を迎える今時分、牧場にいる2歳馬などただの売れ残りに過ぎないし、その数も知れている。
 さすがにそれを知らない小次郎ではなかったが、どう考えても走りそうにない馬を付き合いのある数少ない馬主に買わせるわけにもいかないし、これといった馬は当然のごとく買い手がついていて、預けられる厩舎も決まっているしで、おのれの見通しの甘さを痛感させられた。
「ほらあの、何でしたっけ、3番目に行った牧場にいたチーフベアハートの牡馬。あれならそんなに悪くないんじゃないですか」
「おまえはキリンの世話がしたいのか……おれはご免だぞ」
「だって、そんなこと言ったって」
 泣きそうな気持ちになりながら空を見上げる。
 山から海にむかってのびた羊毛のような巨大な雲が、空と共に赤く染まっていた。
 ため息をついて目線を落とす。
 公園の100mほど先には清流・静内川が豊富な水量を湛えながらゆったりと流れていた。
「しゃーねぇ。明日1日は時間があるんだから諦めずに探すっきゃねぇだろ」
 そう言って缶コーヒーを飲み干す。
「さて、もうそろそろ宿でも取らねぇとだな。って、おい、どうしたんだ」
 立ち上がった小次郎は、何かを視線の先にとらえたまま固まっている楓に気づいた。
「あ、あわわわわ……」
「ん? どうした?」
「川! 川ぁ!」
「川が何だってんだよ?」
 混乱して言葉にならないのか、楓は川の上流を震えながら指さした。
 小次郎は眼鏡を外して眉根を寄せた。
「子供が流されてる!!!!」
 2人ほぼ同時に叫ぶと、次の瞬間に小次郎は脱兎のごとき勢いで川岸に走っていた。
 川幅20mはあるだろうかという川の、流れの速い中ほどを4、5才と見られる男の子が顔を出したまま流されている。
 助けて――、という声。
 川岸にやってきた小次郎は迷うことなく川に飛び込んだ。
「先生!!」
 あとを追いかけてきた楓の声が響く。
 小次郎は子供が流されてくる場所をあらかじめ予想して、川下で捕まえられるように泳いで行った。
 ゆるやかに流れているようでも押し流される水の勢いは強く、なかなか思い通りにはいかない。
 うっかり水を飲んだりすれば息ができなくなる。
 慎重に移動しながら小次郎は子供と自分の距離を計算した。
 狙いをすましてのばした右手が少年の肩をつかむ。
「!?」
 その瞬間、不意に足もとの水の流れが引っ張られるように強くなり、体ごと水面下に引きずり込まれた。
 思わず焦って我慢していた口から空気が泡となって逃げていく。
 やばい―――
 耳が水中の音しか聞こえなくなり、暗い川底が果てしなく見え、小次郎は全身におぞけが走った。
 小次郎は必死に腕をかき、もがいた。
 しばらくの格闘の末、男の子をしっかりと片腕に抱きかかえながら水面の上に顔を出すと、川岸を楓が並走していた。
 おそらく、先生、と呼んでいるのだろうが、顔をくしゃくしゃにして言葉にならない叫びを放っている。
「うお……」
 やっとの思いで砂地に辿り着くと小次郎はそのまま草むらに崩れ落ちた。
 子供も無事だった。
「ふぇぇぇぇ……無事でよかったぁ」
 へたりこんで大粒の涙を流している楓に、
「おい、おれはいいからガキんちょに怪我はないか見てやってくれ」
 と言って小次郎はポケットからびしょ濡れになったタバコを取り出して、大きく息をついた。
 丸刈りの少年はTシャツに短パン、履きつぶした灰色の運動靴といった格好で、ぐったりとしていたが、支えて上体を起こし少し経つと意識がしっかりとしてきたようだった。
 大きなくしゃみをすると鼻から青っ洟が飛び出た。
 楓はこのままでは風邪をひいてしまうと思って、着ているものをいったん全部脱がせ、それを雑巾しぼりの要領で水を切った。
 有り合わせようにもタオル1枚持っていなかったのでとりあえず服を着せて3人は車の場所に戻った。
「ボーズ、名前は? あと、送ってやるから家を教えろよ」
 車の陰で濡れた服を着替えている間に、小次郎は少年に訊ねた。
 楓は離れた場所で背中を向けている。
「……ヒデヨシ」
 黙っていた少年の口から小さく発せられた声に、
「ん、めずらしい名前だな……はて? 何か聞き覚えがあるぞ」
 小次郎は首をかしげた。
「む~う」
 こぶしを顎にあてて考える。
 しばらくして思いあたる人物を思い出した小次郎は子供の顔をまじまじと見つめた。
「お、おまえ……霧原ゲンの息子の、秀吉か!?」
「うん」
 なるほど、とばかりに手をポンと叩く。
「先生、もういいですかぁー?」
「ああ、いいぞ」
 歩み寄ってきた楓は足もとに脱ぎ捨てられていたシャツを拾い、水を切った。
「この子どこの子か、わかったんですか?」
 小次郎は笑いながらその質問に答える。
「ああ。つーか、コイツ、おれの幼馴染のせがれだ」
「へ?」
 楓の目がテンになる。
「おじさん、誰なの? 父ちゃんの友達?」
「そういうことだ」
 安堵した様子で、小次郎は携帯をかけようと取り出した。
「どうしたんですか」
「……壊れてる。ま、とりあえずコイツを家に届けるか。ここから車で15分くらいだ」
「先生ってこの辺の人だったんですね」
 車を運転しながら楓が言った。
 太陽はもう新冠の丘陵の向こうに沈み、外はだいぶ暗くなっている。
 車道には車の姿はほとんどない。
「生まれは静内よりもっと奥の浦河ってとこなんだけどな。おれが小さい頃に静内に移ってきたんだ」
「ご両親の仕事の関係でですか」
「そうだな。親父が厩務員やってて。中学卒業して家を出るまではずっと静内」
「へえぇぇぇぇ」
 楓は不思議とうれしい気持ちになった。
 昼間に見た美しい牧場の風景のなかで、数人の友達と遊び戯れている幼い小次郎の姿が目に浮かんだような気がした。
「あ、それじゃご両親は今この辺にいるんですか?」
 続いて投げかけられたその質問には、答えるまでに少しの間があった。
「両親はおれが小さかった時に離婚したんだ。おれは親父に引き取られて、お袋とはずっと会ってない。噂じゃ札幌の方で再婚したらしいけどな。親父とは競馬学校に入る時に大喧嘩して家を出てそれ以来。音信不通ってやつだな」
 内心でマズイと思った楓に対して、めずらしく小次郎は自嘲的だった。
「そ、そうなんですかぁ」
 沈黙の空気が流れるのが不安になって、
「ならお父さんはまだ静内に?」と訊ねてから楓は後悔した。
「親父は、当時働いていた牧場が潰れてからどうなったんだか……。いいかげんな奴だったから、どっかでのたれ死んでてもおかしくねぇよ」
 そういう親子関係ってどうだろう、と楓は思った。
 自分はふつうのサラリーマンの家に生まれ育ったのでよくわからないが、聞いているだけで無性に悲しくなる話だ。それと同時に何てこの男は強いのだろうと思った。
 小次郎は軽い感じに喋っているが、同じ立場だったら果たして自分は耐えられるだろうか。
 いや、たぶん無理だ。
 それはきっと血のつながった家族の、愛情とか、思い出とか、数え切れないほどのそれらが自分という人間の多くの部分を構成する要素だからだろう。
「おっ、そろそろ着くぞ」
「は、はい」
 薄暮の中に佇む、空にむかって大きく幹を伸ばした巨大ケヤキの手前で楓は現実世界に引き戻された。
 霧原ファーム、と太い毛筆体で書かれた看板が牧柵の前に立っており、そこからさらに車を走らせてじきに現れた牧場の入口を入っていく。
「おい起きろ、秀吉。着いたぞ」
 短い間に眠りに落ちていた後部座席に座った少年に声をかける。
 個人牧場にはめずらしく洒落た外国を思わせる厩舎脇を通り抜けると、背の高いスギに囲まれるようにして建てられたログハウス風の家が見えた。
 車を停めて小次郎たちが外に出ると、すぐそばに繋がれていた柴犬が大きく吠え立てた。
「コジロー」
 秀吉という少年の声に反応して犬は興奮して飛びかかる。
 ぎょっとして小次郎は、
「あれ、こいつ、ムサシじゃねぇの?」といった。
「ムサシはコジローのお父さんだよ。去年、死んじゃったんだ」
 二本足で立ち上がってじゃれている犬をよく眺めて小次郎は唸った。
「ゲンの野郎、よりによっておれと同じ名前を犬につけやがって……」
 気がつくと楓は吹き出していた。
 さっきは少し暗い気持ちになってしまっていたが、どうやらこの牧場の主人は冗談を好むようだ。
「ヒデ坊!!」
 厩舎の中から出てきた、つなぎの作業着を着た小柄な老婆が声をあげてこちらに走ってきた。
「あんた、裏の川で遊んでてその後どこ行ってたんだべ!? 父ちゃんが心配して探しに行ったよ!」
 秀吉は祖母に抱きかかえられて、「ごめん」と言った。
「んで、あんたたちは…こ、小次郎ちゃんかい!?」
 驚いた顔をしている老婆に、
「久し振りだな、おばぁ」と小次郎は笑顔をみせた。
「あれぇぇ、今日は心配したりビックリしたり忙しい日だよ……。秀吉がいなくなったと思ったら今度は小次郎ちゃんが現われて、あれあれ! こっちのお嬢さんはあんたのお嫁さん!? いいやぁ、どうして連絡してから来なかったのさぁ。びっくりするべ!」
 よく喋る老婆はしわだらけの顔についた大きな瞳をさらに大きくして言った。
 あまりの驚きっぷりに小次郎も楓も返す言葉が見つからず、
「話はとにかく、家にあがんなさい! さあさあ! あ、何だ秀吉、びしょ濡れじゃないかい、あんた一体なーにやってんのさぁ…」
 そのまま2人とも手首をつかまれて引きずられるように家に引かれていった。





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2008/03/31 12:54 | 未選択

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