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2024/04/20 19:34 |
2章  中央デビュー! ④






【    阪神      新馬    1200m  芝   良     】






 宝塚記念(G1)当日。
 正午すぎて阪神競馬場の観客人数は8万人と発表された。
 上半期の締めくくりとなるオールスター戦を目当てに、好天にも恵まれて多くの人々が競馬場に足を運んでいる。
メインレースが始まる午後3時にはスタンドも立ち見も埋まっているだろう。競馬人気が衰えたとも言われているが、今日はひさびさに大入りが見込めそうだ。
 午後一番のレース開始時刻にあわせて検量室周辺はあわただしくなっている。
 ひととおり馬具の確認をして、神薙舜はパドックの横にあるジョッキー控室に移動した。
 パドックでは新馬戦に挑む8頭の若駒たちが周回をはじめている。
 すり鉢状になったパドックにはファンがどっと押し寄せていた。立錐の余地もないほどで、G1直前のそれと遜色ない。
 数頭の馬の後に続いて、5枠5番シャイングロリアが厩務員2人引きで登場すると観衆は大きくどよめいた。
灰色の堕天使の名前と噂は各メディアを介し、もはや日本中に知れ渡っている。
 どうやって仕入れたのか不明だが、ネットでは先ごろ行われたシャインクウガとの公開調教の様子が動画で配信され、もっか来年のクラシック本命として話題をさらっている。
 本格的な一眼レフカメラや携帯電話での撮影の光にさらされながら、シャイングロリアは首を下げた状態で周回する。
542キロと発表された巨漢は新馬のなかでは群を抜いて大柄である。まわりの馬がまるで子供のように映った。鋼のごとき筋肉に何層も覆われた馬体は類をみない完成度を誇り、大きな後脚が踏み込むたびに気合いが伝わってきた。
馬券投票締め切り20分前にして単勝オッズ1.1倍。
元返しがなくなって以来、もっとも低い配当だ。
 パドックに周回停止命令の声が響く。
 整列を終えたジョッキーたちが小走りに馬に駆け寄り、騎乗していく。
 シャイングロリアの背中に神薙舜がまたがると、競馬場には場違いな黄色い声援があがる。よくみると一般の競馬ファンに紛れて多くの若い女性の姿があった。
 少数ながら、神薙バカヤロー、という声援(?)も聞こえる。
 赤い下地にたすき状に黒い模様のはいった勝負服姿の舜はあぶみの具合を確かめつつ、愛馬の背中から好調を感じ取っていた。
 ダービー馬たちとの追い切りで、現状での目一杯の時計が出せたことで欲求不満が解消されたのか、いつになく馬が落ち着いている。
 ふとパドックの電光掲示板に、控え室の外に立っていた美しい和服姿の女性のアップが映し出された。
 オーナーの娘、二条院しづかの若々しく優美な姿に今度は男性諸氏の間にいくつも声がもれる。「誰だ?」
「女優だろ、たしかあの…」
「馬主なのか?」
 憶測の声が飛び交う。
掲示板に自分の姿が映っていることに気づいたしづかは柔らかな微笑みを浮かべた。
 本馬場に移動するために各馬が地下馬道を歩いていくと、パドックに押し掛けていたファンたちも一斉に本馬場にむかって走り出した。


 眩しい日差しを浴びてコースに現れたシャイングロリアは、灰色の身体を蹄の先からゆっくりとのばして準備運動、返し馬に入っていく。
 昨夜ふたたび小雨が降ったために芝は湿っていたが、適度なクッションが効いていて問題なさそうだ。前面がびっしりと観客で埋まったスタンド前を抜けて、スタンドから見て反対側、向こう正面にある1200mのスタート地点に向かって流していく。
「花山さーん、お弁当買ってきましたよぉ」
 身長160センチに80キロの体をもてあました野口という後輩の競馬記者が汗をかきかきしながらビニール袋片手に記者席にやってくる。
「おう、すまねぇ。釣りはとっとけよ」
 日刊紙・関西スポーツのベテラン競馬記者、花山一はそう言ってタバコの煙を吐き出しながら両目に当てていた双眼鏡に下ろした。
「どうです、噂の怪物くんと王子は」
「実際にこの目で見るのは今日が初めてだが、とんでもねぇ馬だってことは間違いないな。この仕事も30年続けてるが、皇帝と呼ばれたシンボリルドルフの新馬戦でさえあんな雰囲気ではなかったぜ。ただひとつ、解せないのは」
 野口は噴き出した汗を拭こうともせずにどっかりと席につくと競馬新聞を広げた。
 シャイングロリアの予想馬柱にはすべて◎が並んでいる。
「……あれほどの馬になぜ、新馬戦で1200mの短距離を選んできたのか、ということですね?」
「そうだ」
 短く答えると花山は低く唸った。
「あの馬の両親はどちらもクラシックの距離(2000~2400m)で活躍してきた馬だ。あいつ自身もバランスの整った馬体をしている。とてもじゃないが短距離がいい馬ではないだろうよ」
「じゃあ、あえて無理な条件に挑戦させる、っていうことですか」
「どうだかな」
「ほらこういう時によく言う、タケシバオーって馬が昔いて、強い馬は距離を問わないって話があるじゃないですか」
「おい、そりゃ俺がまだ駆け出しの頃の話だぞ。距離別に特化が進んでいる現代の競馬ではまず無理な話だし、そもそも新馬戦くらいでハクがつくようなもんじゃないだろ」
 じゃあ何で、と言う問いには答えられず、
「とりあえず弁当でも食うか」
 と花山は買ってこさせた幕の内弁当を開いた。





 新馬戦のファンファーレが鳴り、場内の視線がスタート地点に注がれた。
 先入れとなった5番枠のなかで舜は他馬の進入を待っていた。
 レースのイメージは鮮明に描かれている。
 股の下にいる相棒はフーッという鼻息を吐いていたが、今日はいたって落ち着いているようだった。
 全馬が枠におさまり、スタートが切って落とされた。
 出遅れもない綺麗な発馬でレースは始まった。
抑えのきかない1頭の馬が内側から飛び出して先頭に立つ。
どうやらこの馬がレースを引っ張るらしい。
数頭が気合いをつけられて先頭を追いかけ、馬群が形成されていく。
シャイングロリアはゲートを出たままに、中団を追走しながら4馬身ほど追いかける形になった。
レースは短距離のスプリント戦らしくハイペースでラップを刻み、前半の3ハロン(600m)で時計は34.2。開催終了となる馬場では早いほうだ。
そして、レース中盤すぎ。
5番手を追走していたシャイングロリアは鞍上の気合いに応えて、残り600mで大外をマクリながら苛烈な勢いで二番手に立ち、そのまま並ぶ暇もなく先頭に立った。
大勢が決したことが明らかになり、スタンドが大きな歓声に包まれる。
 しかし。
ほぼ勝利を手中にした芦毛馬の馬上で、体を折っていた神薙舜は右手に持っていた鞭を後方にふりかざした。
 ―――常識を超える。
 そんな決意の込められたステッキが大きな後肢をしたたかに打ちつけると、すでにスピードに乗っていたはずのサラブレッドがその瞬間、ここまで『溜めていた』末脚を一気に開放した。
 ドン、という炸裂音を残して馬場の中央を銀色の蜃気楼がのびていく。
 空気という壁を突き抜け、シャイングロリアはさらに己の能力を解き放っていった。
 場内の歓声は水を打ったように静まり、誰もが茫然としながらその光景に見入っていた。
 緑のターフの上を、ただ一頭の馬が駆け抜けていく。
 何物もそこに入り込む余地のない無音の世界がそこにあった。
 そしてレースという概念を否定するほどの差をつけて、それはゴールを過ぎて行った。
『シャイングロリア、ゴールイン! せ…戦慄とともに降臨! シャイングロリア!!!』
 静寂に包まれた競馬場に、遅れて場内実況の声が届くと、さらに遅れて熱狂の嵐が沸き起こった。
 まるでG1の直後のような馬鹿騒ぎのなかで花山は立ち尽くしていた自分に気がついた。
「すごい! すごいっす! こんなの見たことないっっっ!」
 同じように立ち上がり、興奮した野口は小躍りしていた。
花山は高まる胸の鼓動を抑えるのが精いっぱいだった。
 しばらくの間、二の句が出ず、くわえていたタバコのフィルターだけが前歯に挟まれてキリキリと音を立てていた。
 ゴールのはるか先で馬を返した舜は、ファンの声援に応えるようにスタンド前までシャイングロリアを導いた。
 祝福と喝采を受けながら、馬上で右手を突き上げて人差し指を立ててみせると場内はさらに盛り上がる。
自然と舜の口元には笑みがこぼれていた。
 シャイングロリアが地下馬道に下り姿を消しても場内の興奮は収まらない。
 コースに設置された大型電光掲示板、ターフビジョンに映し出された着順とタイムに再びどよめきが起こった。
 赤い文字で『レコード』という表示が点灯している。
「上がり3ハロン(600m)、32.6!!?」
 勝ち時計1分6秒8は、日本記録を更新していた。
「ただの記録じゃねぇ……後半600mだけでこれだけの記録をつくりやがったんだ」
「ていうか、直線コースの競馬でもないのに32秒台の上がりだなんて、なんかもう感覚狂っちゃいますね」
 そう言いながら野口は呆れ笑いを漏らした。
「こりゃ、とんでもないことになったな…」
 ハンチング帽の下の坊主頭を掻きながら、花山は一人つぶやいた。




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2008/03/24 13:50 | 未選択

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