忍者ブログ
[PR]
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。


2017/07/21 11:29 |
2章  中央デビュー! ⑧







 月明かりの下、小次郎はひとり、牧場の東側にある木立へ向かっていた。
 初夏とはいっても北海道である。
シャツ一枚ではやはり肌寒い。
 懐かしさのあまりしこたま酒を飲み、家を出た頃はほろ酔いぎみだったのも、ものの数分で頭がしっかりしてきた。
 あいかわらず外は虫がうるさい。
「寒ィ……」
 両手をスウェットパンツのポケットに突っ込みながら歩いていると、暗いが見覚えのある景色が小次郎を不思議な気持ちにさせた。
 放牧地を隔てる牧柵の間に設けられた道は、車のワダチ以外の場所も邪魔な草がきれいに刈り取られている。
 大きな図体のわりに昔から几帳面な霧原ゲンの顔が浮かんで、思わずその口元が歪んだ。
 暗がりになった長い木立を抜けると、急に視界が開けた。
 目の前に現れたのは、牧場の横を流れる静内川だった。
 川の水面には雲間に浮かぶ満月が映し出されていた。
 小次郎は岸辺にしゃがみこみ、ポケットに入っていたタバコを取り出してくわえると、おもむろに火を点けた。
 口から吐き出された煙が風に乗って川下へと流されていく。
 振り向くと、その視線のさき、右手の林のなかに人間の身長ほどもある大きな石碑が立っていた。
 小次郎は立ち上がり、思い起こすようにして歩み寄った。
 石碑には大きな毛筆体で『馬頭観音』と彫られており、足元の地面には石のプレートが並んで埋まっていた。
 整然と並べられているプレートには霧原ファームを支えた功労馬たちの名前が彫られている。
むかって左側から順番に、最も古いユキシロ、ハクスイ、ダイオオショウ……と続き、そして最も新しい最後の1枚に『ジャムシード』の名前が刻まれていた。

ジャムシードはおよそ12年前、この牧場で生まれた。
そして、そのたった5年後に遺骨と灰になってこの場所に帰ってきた。
短い生命ではあったが、競走を義務付けられて生まれてくるサラブレッドにとってそれはめずらしいことではない。
 小次郎は石碑にかからないように煙草の灰を落とした。
 この土地に生まれ、長じてはターフの上を駆け巡り、ふたたびこの土に還る。
 それだけでもジャムシードは幸せだったんだ、といつしかゲンは小次郎に言った。

おれは、――あれから自分を取り戻すために、ここを離れたんだ……

霧原ファームを辞めた小次郎はその後、日本を離れて異国の地に向かった。
70リッターのバックパックを担いでカリフォルニアに降り立ち、紆余曲折ありながらもヒッチハイクで陸路、小次郎は米国競馬の中心地・ケンタッキー州に辿り着く。
多くの風景や思い出が頭のなかに蘇った。
「小次郎」
 背後からかけられた声に振り返ると、甚平姿のゲンが立っていた。
「……死んじまった馬どもに帰郷の挨拶か? 宴会抜け出して便所にいったきり、帰ってこねぇと思えば」
 冗談めかしたゲンに、
「すまねぇ、久しぶりだからな。懐かしくなっちまったんだ」
 小次郎は笑って答えた。
「こいつらもきっと懐かしんでる」
 ゲンは小次郎が差し出した煙草を受取り、自分のライターで点火した。
 秀吉が生まれて家の中で吸えなくなって以来、めっきり煙草の本数も減った。
 おたがいに黙ったまま、時間が流れた。
「なあ、小次郎」
「あ? どうした」
 神妙な顔をしたゲンはへの字口をする。
 真面目な話をするときの癖だ。
「……おまえが連絡しねぇから言いづらかったんだけどよ。うちの仔っこをおまえの厩舎で預かってみねぇべか」
「ゲン……」
 小次郎はその髭面を見上げた。
「たしかにうちにゃあ、皐月賞も、ダービーのトロフィーもある。だけどよ、それで満足しちまってるわけじゃねぇんだぁ。おれはジャムシードを作った親父を超えたいし、ここんとこずっと負けっぱなしの名門・静内地区を復興させたいと思ってる。そのための努力も投資もしてきた」
 言いながらゲンは首筋を掻いた。
「いまは早来が日本の馬産の中心地だ。どんな厩舎にいれたって、やつらの馬が優先されちまう。ピカピカの異国血統をひっさげた繁殖に、これまたブランド種馬をつけてんだからしょうがねぇや。肝心の馬主はきらびやかな血統馬に目がくらんじまって、おれたち日高衆が苦心してこさえた馬には見向きもしない」
 北海道の早来地区と呼ばれる場所には本邦随一の規模を持つ巨大組織・伍代グループの大牧場がいくつも点在している。
 いまや伝説となった偉大なホースマン・生田玄哉が一代で興した大牧場で、現在は国内の生産シェアのおよそ三分の一が伍代グループがらみというある種の「異常」状態になっていた。
 昨今では不景気も相まって経営体力のない家族牧場がつぎつぎに廃業しているが、競馬における富の配分が著しく偏った、いわゆるしわ寄せが弱者に向いたためだという見方は根強くささやかれている。
「競馬なんざ勝ち組をさらに太らせるもんだからな。まともな状態になるまでにはあと20年はかかるだろ」
 たがいに現場を知る者同士、ため息がもれる。
「だが、おれたちだってこれ以上やられっぱなしではいられねぇんだ」
 力強い口調でゲンは拳を固めた。
「数年前からだが、ようやく日高にも力をもった若い人間が増えてきた。反骨精神とハングリー精神を併せ持つやつらがな。いまは早来に屈伏しているような形でも、打倒の志を胸に秘めた連中は強い。そして、そいつらをまとめ上げる連合が今、生まれようとしているんだ」
「ほう」
「もう年寄りの時代じゃない。おれもその一人として自分なりのやり方を模索している。小次郎が力になってくれるなら心強い」
「なるほど……」
 手にしていた小石を川の流れのなかに投げ込むと、ドボンという音とともに小さな飛沫があがった。
「……いずれ群れをなすような話は嫌か?」
 ゲンの押し殺した表情に小次郎は苦笑した。
「嫌じゃねぇよ。話が大きすぎてよくわかんね―けど。ただ、おまえが一方的にオレの力になってくれるような話なら断ったかもな。オレが、ゲンの力になるんなら悪くない。いや、歓迎だ。お前にはガキのころから山ほど世話になってる」
 そう言うと小次郎は立ち上がって白い歯を見せた。
「明日は早起きしろ。うちにいる馬で気に入ったやつは全部もってけ」
 ゲンも立ち上がり、男たちは連れ立って夜の道を帰って行った。








 朝もやのかかった放牧地に、厩舎から連れてこられた馬たちが引き手を外すやいなや、弾かれたような勢いで飛び出していく。
「ほえええ、元気がありあまってるなぁ」
 和那に借りたシャツとデニム姿の楓は、うれしさのあまりに飛び跳ねたり相撲をとったりしている仔馬たちを見つめた。
 ひんやりとした澄んだ空気の中に冴えたいななきがこだまする。
「あんな仔たちがこれからゲッソリするのよ」
 同じようにラチにもたれかかっていた和那が微笑しながら言った。
「月が変わってもう夏だし、今日から昼夜放牧がはじまるの。朝の検温以外はあの仔たち、ずっと外に出しっぱなし。ひと月もしたらみんなくたくたになるんだわ」
 馬は一般的に昼も夜も関係なく活動する生き物だ。
 昼間だけでなく夜間も放牧することで運動量が単純に言っても倍になる。
 青草を食べる量も必然的に増えるし、馬房に閉じ込めておくより逞しく育つのだ。
 夜の放牧地で大きな事故にでも遭えば発見するまでに長い時間を要するリスクもあるが、それを上回る恩恵は大きい。
 両手を使って1人で2頭の馬を引く牧場流の経験が初めてだったので最初、楓はかなり戸惑ったが、やれば意外と馬は素直に従ってついてくるのにも驚いた。
 そして思った通り、やはり和那は馬の扱いが上手い。
 もともとズブの素人だったこともあり、楓へのアドバイスも的確でわかりやすかった。
 バカついた若馬が後ろ脚で立ち上がっても冷静にこれをなだめ、さっと引いていく姿は堂に入ったものである。
「楓ちゃん、喉かわいたろ。休むべ」
 厩舎の寝わら上げを終え、ひととおり外に広げ終わった頃、冷蔵庫から持ってきたミカンジュースを手にしたキク婆がニッと笑った。
 作業を終えたパートの作業員たちと、厩舎そばの丸太でできたベンチで休憩をとる。
「うっま―いっ♪」
 果実をしぼっただけの素朴な味が口のなかに浸みて、思わず声になった。
 小次郎と楓が加わったおかげで普段より30分ほど早く作業が終わり、時計はまだ8時半をすこし回った程度だ。
「小次郎さんたちはじきに帰っちまうんだべか?」
 つなぎ姿の、よく日焼けした青年が尋ねる。
 青井雄作という男で、近所の牧場から毎日、手伝いに来ているという。
 自宅は繁殖が3頭しかいないので少し早起きして作業をこなしているらしい。
「今日の夕方には帰るつもりだよ」
 草のうえにあぐらを掻いた小次郎が答えると、みな残念そうに声をもらした。
「またすぐ来る。どうやらオレも少しはまともに調教師の仕事ができそうだしな」
「小次郎ちゃんが調教師の大先生だなんて、そったら話を聞いたらびっくりするさぁ」
 キクは小次郎が美浦所属の調教師になったことを知らなかったらしい(ゲンと和那は当然知っていたが)。
 目じりが垂れて小さく見える目を丸くしている。
「昔っから、こいつは何も言わないで何でも始めるからな。騎手になるって言ったときだって競馬学校、受かってからだっただろ?」
「オレは、人一倍シャイなんだよ」
 冗談めかして小次郎がそう言うと、一同はどっと笑いに包まれた。
 親友に肩を小突かれて笑っている小次郎を見ながら、楓は無意識に胸が熱くなっていた。
(こんなに楽しそうな先生、見たことない……)
 短い滞在だったが、霧原ファームの温かいもてなしは楓の心に安らぎを与えてくれた。
 ありがとう――。
 そう小さく呟いて、コップに残っていたジュースを飲み干した。





PR

2008/08/05 02:26 | 未選択

| HOME | 2章  中央デビュー! ⑦>>
忍者ブログ[PR]