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2017/05/29 22:08 |
2章  中央デビュー! ③











「『ついにヴェールを脱いだネオ・ブラッド』かぁ。扱いも大きいですねぇ」
 月曜のスポーツ新聞を両手で広げた翔太が、競馬記事の真ん中に大きく書かれた見出しを読み上げる。
 窓外では雨が降り注いでいた。
 もう梅雨である。今年はカラ梅雨ではなさそうだ。
「『今後はステップレースを一戦して暮れの朝日杯に向かう予定。早くも2歳の頂点はこの馬で決まりではないか』だそうですよ。一度くらい自分の管理してる馬をこんなふうに書かれてみたいですよねぇ」
 それを聞いて、向き合ったソファに腰を下ろしていた熊五郎が笑った。
 ペティナイフを片手に林檎をむきながら、
「そういうことは厩務員人生に一回あるかどうかの話じゃて」と言う。
「しょせん競馬は血統なんですかねぇ。ダービーを勝つって言ったって、これじゃいつになるか分かりませんよ」
「果報は寝て待てというか、焦らないことじゃ」
「は~い……」
 翔太は背もたれにもたれかかって目をつぶった。
 ガラリと、入口のドアがスライドして小次郎が休憩所に入ってきた。
 そのままソファに座るなり手に持っていた煙草に火をつけて、
「翔太おまえ、免許持っているか」
 と聞いてきた。
「え、原付しかないですけど」
 そうか、と言って小次郎は両足を投げ出し、頭の後ろで腕を組む。
「クルマの免許なら、あたし持ってますよ」
丸めた引き手をもった楓が開けっぱなしのドアの向こうから顔を出す。
馬のブラッシングをしていたらしく、白いシャツには抜け落ちた馬毛がいくつも付いていた。
 細っそい目で、小次郎は娘の顔を見る。
「ちゃ、ちゃんと運転できますから! ……卒険5回、落ちましたけど」
「電車でいくかぁ……」
 ぼそっと言って卓上に置かれていた競馬ブックをおもむろに読み始めた。
「ていうか、どうしたんです? いきなり」
 怪訝な顔で翔太が訊ねると、小次郎の口から輪っか状の煙が吐き出される。
 休憩所に入ってきた楓は自分のマグカップにコーヒーを入れて向かい合わせのソファに腰を下ろした。
「北海道に馬を仕入れにいくんだよ。足が必要だろう。ん? なんか顔についてるか?」
 一同の視線を一身に集めていたことに気がつく。
「驚いたぞい……」
「先生が自分から馬を探しに行くなんて……」
「いや、普通に考えればかなり当たり前のことですけど……」
「オイ、そんなにおかしいか」
 休憩所の窓の外を、他厩舎の厩務員たちが馬を引いていく。
「いつ、行くんです?」
「とりあえず来週だな。知り合いの牧場をしらみつぶしに当たってみる」
「はい、はーい。前もって連絡とかってしないんですか」
 楓が手をあげて質問した。
「そんなもん、いるか。相手は馬屋だぞ」
 適当にパラパラめくっていたブックの、巻頭のグラビアにふと、その手が止まる。
そこには記念写真とともに『神薙舜騎手 史上最速200勝』という文字が踊っていた。
 一瞬、楓は緊張したが、小次郎は別段、興味なさそうにふたたび紙面をめくっていった。
 ほっとしながらも、ふと、この男は何も想いながら現在を過ごしているのだろうかとその顔を見つめる。
 小次郎は変わらない表情で記事に目を落したまま、ときおり煙草の煙を細長く吐き出していた。








 滋賀県・栗東トレーニングセンター内、坂路コース。
 朝露のついた路傍の木々が、日の光を浴びて輝いている。
 週末の競馬開催に向け、レース前の総仕上げともいえる追い切り時計を出す各馬が蹄音を立てながら次々と駆け上がっていく。
「そろそろ、かなぁ」
 お目当ての馬の追い切りを心待ちにしていた関西スポーツ競馬担当の若手記者・亀岡進はストップウォッチを片手にコースを見つめていた。
瘦せぎすの男で、安そうなグレーの背広に折れ目のついた赤いネクタイをしている。
 少し垂れ気味の両眼の下には深いクマが刻まれており、髪の毛はぼさぼさ、清潔感のない不精ひげは青く茂っている。
 今年26歳になった青年とは思えないほど異様な外見をしているが、とにもかくにも栗東の坂路時計取りは彼の仕事である。
 三流大学で、のべ2年留年して、男ばかり8人ほど集まった競馬サークルでは通算4年間、代表をつとめた。
 断じてミーハーではないと自認しつつも、好きな馬はディープインパクトと真顔で言いきる男は今、恋する乙女のように心が躍っていた。
 坂路時計班の一員として正式に配属されてからまだ3か月だが、その予想家人生のクライマックスは早々に訪れていた。
 双眼鏡のレンズのはるか向こう、遠くから、その馬の姿が見えてくる。
 亀岡は瞬間、言葉を失った。
 複数併せになるとは聞いていたが、5頭併せとは聞いていなかった。
 デビュー戦に臨む、噂の怪物・シャイングロリアの調教は圧巻だった。
 調教馬群の先頭を走っていたのは、今週の宝塚記念にファン投票で堂々の一位に輝いたエルムスウィーパー。
その青鹿毛の左後一白は、まさしく昨年のダービー馬である。
 続いて1馬身離れて追走するのが、春のドバイに遠征し、見事にシーマクラシック(G1・芝2400m)を制したフェニックスロード。ファン投票二位。
 父は米国から輸入され、初年度産駒から女傑マリスクレイドルを輩出したレッドフェニックス。
昨夏に早世した父の貴重な後継種牡馬としてすでに今年限りでの引退が決まっている。
 坂路コースの中盤を過ぎ、それらと併走するように内側から昨年の菊花賞馬アクアシェイドが力強く完歩を伸ばせば、負けじと大外から去年の牝馬二冠女王アマテラスが鋭く伸びた。
 超という言葉をいくつつけても足りない豪華メンバーをまとめて相手にしながら一歩もヒケを取らない手応えで、最後方から神薙舜を背にしたシャイングロリアが灰色の馬体を躍動させる。
「おいおい……宝塚記念のド本命たちを相手に追い切る2歳馬があるか」
 亀岡の近くにいた、よその予想紙の記者があきれたように言った。
「新馬戦なんか走らせないで今すぐクラシックを走らせりゃいいんだよ」
 ストップウォッチを持つ手が震え、計時どころではない。
 亀岡の心はただただ歓喜していた。
 菊花賞馬と海外G1馬の間をこじあけ、2歳年上のダービー馬をクビ差まで追いつめた所でゴール板を通過する。
 トレードマークになったホライゾネット付きの黒い覆面の下にある口は固くハミを噛んで白く泡立っていた。
 オーバーワークにならない程度にまとめたとはいえ、年長馬たちも一様に玉の汗をしたたらせていた。
 各馬キャンターから常足にスピードを落とし、坂路を下りていった。
 いや、ただ一頭残っている。
舜を待っていた牧昇二が、柔和な笑みを浮かべながら鹿毛馬フェニックスロードの鞍上で右手をあげた。
「さすがやなぁ、ホンマにその馬はバケモンやで」
「昇二さん、あまり馬を寄せるとグロリアが興奮するので……」
「アハハ、悪い悪い。ほな、ちょっと離れた場所から失礼しまっせ」
 グロリアを刺激しない程度に離れた場所を並行しながら二頭は木々に囲まれた逍遥馬道を下っていく。
 舜にとって牧の存在は単なる先輩騎手の一人に過ぎない。
日本競馬史に残る名ジョッキーといっても特別に意識している部分はない。
 そのことは牧もよく知っていた。
 競馬の世界に入ってくる新人騎手にとって牧昇二とは雲上人である。
中央競馬では現役最多の2000勝を誇り、競馬に興味をもたない一般の人々にもその名は知られているほどだ。
 多くの新人騎手は、生き神様を見るような目で挨拶にやってきて、感激して帰っていった。そして実際のレースでこれでもかというほど格の違いを思い知らされる。
 しかし、彼らはそれでも「やられ役」として騎手であり続けるのだ。
そんなものだ。
 生活さえできればイイというくらいの中途半端な覚悟しかない人間を、心の底ではひどく軽蔑しながら牧昇二は表向き寛容な人間を装っていた。
 神薙舜がJRA新人ジョッキーとしてデビューしたのは二年前のことだ。
 もともと、さほど親交のなかった厩舎の長男坊、古くは自分のライバルと呼ばれていた男の義理の弟といった程度の間柄に過ぎなかったが、数年ぶりに会った舜は牧も驚くほど別人になっていた。
 生来の明るさが消え失せ、他人を遠ざける空気をまとい、瞳の奥には冷たい刃物のようなものを宿していた。
 そして新人とは思えないほど、恐ろしく腕が立った。
 競馬学校を卒業した程度の小僧にはまるで似つかわしくない度胸と卓越した技術。
 男は3年目にしてすでに国内のトップを争うまでに頭角を現している。
 だが傍目にもそのことが舜にとって達成感や満足感を与えているふうには思えないのである。
 出世欲や金欲、支配欲といったものに素直な牧にはよくわかる。
 明らかに自分と違うからだ。
 尊敬も畏怖もない、冷めた瞳に映し出される牧はふとそんなことを考えて苦笑いを浮かべた。
「なあ、舜坊」
 うまくスポンサーを垂らしこんだな、とは言わない。
 そういう事をするのはむしろ自分である。
 気を取り直して言葉をつむいだ。
「おれにとって競馬っちゅうのは、強い馬に乗って勝つ。それだけや。仕事やし。そんなら自分は競馬でいったい何がしたいねん?」
 予想していなかった突然の問いに、舜は少なからず面食らったようだった。
「それは……今、答えろと言われても難しいですね」
「ンまぁ、そうやろな。我ながら不思議な質問してるわ」
 ムチの先端をおのれの鼻先にピタピタとつけながら牧はウームと唸った。
 少し考え込んでから、いやな、と口を開く。
「ダービーを勝ちたいとか、海外で勝ちたいとかそういう気持ちを強く持っている奴らはな、なんというか、目がキラキラしてんねん。夢見てる顔しとる。かといって、競馬をビジネスと割り切っている奴もそうおらん。生き物が相手やし、そういうのには会ったためしがない。察するに舜坊からはカネとか名誉とか、そういうもんを求めているようには感じられへんねや」
 舜は黙ったが、本人にもわかりづらいらしく、馬上にしばらく沈黙が流れた。
「強いて言うなら…」
 木々の隙間から陽光が差し下している場所を抜けると、舜は口を開いた。
「な、なんやって!?」
 急に強い風が吹いて、よく聞こえなかったが、牧の耳にはこう届いたように思えた。
 この悪夢を終わらせたいから、と。






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2008/03/17 11:46 | Comments(0) | TrackBack(0) | 未選択

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