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2017/08/20 17:03 |
2章  中央デビュー! ⑦










 馬房から棒ごしに首をのばしてきたその馬は、こちらを見て鼻を鳴らした。
 茶色い鹿毛の額には『星』と呼ばれる小さな白い斑点がついている。
 黒曜石を思わせる濡れたその瞳は、穏やかな表情で人間たちを見ていた。
「かわいい!」
 思わず楓は声をだしてその額をさわる。
 さらさらとした額の毛並みが気持ちいい。
 馬はペロリと舌を出した。
「和那、こいつどこをやっちまったんだ?」
「左後脚の下腿部の骨に小さなヒビが入った程度なんだけどね。もうほとんど大丈夫だし、ここ最近はウォーキングマシンに入れてしっかりと歩かせてる。月末には乗り始める段取りにはなってるのよ」
 そう言って和那は慣れた手つきで無口頭絡と引き手をつけ、ジークという名の馬を馬房から出した。
 のんびりとした蹄音が厩舎内に響く。
 一頭の馬が馬房から出されたことで勘違いしたのか、馬房内にいる他の馬たちが我も我もと動き出し、寝わらを踏みしだく音や低いいななきが聞こえる。
 和那は長方形をした厩舎の真ん中にある、広さのある繋ぎ場で馬を停め、立たせた。
「どうかしら?」
 そう言って自身満々といった感じに停止姿勢をとらせる。
 楓は腕を組みをしてじっと馬を見ている小次郎の横顔を見た。
 小次郎は黙ったまま、馬体の隅々までつぶさに観察していた。
 骨格の伸びやかさ、筋肉の質・張り、上体から蹄に至るまでを分析していく。
 馬体重は見たところ470キロぐらいだろうか。
 それでもちゃんと調教で乗っていけばおそらく450キロ台にはなるだろう。
 横から見ると前後肢とも幅があって大きいが、正面に立って見ると意外に薄さを感じさせる。典型的な中距離~ステイヤーの体型である。
 先ほど歩いていた時に思ったのは、つなぎが柔らかく、それでいて全身に軽さを感じさせたことだ。
 柔らかい馬というのは芯に力がつくかどうかがポイントだが、それは鍛えてみないとわからない。だが、少なくとも現状では競走馬として活躍する可能性を示唆する特徴をいくつも持っているように思えた。
「おっ」
 小次郎が驚いたのはその後だった。
 耳の後ろあたりがかゆいのか、ジークが左後脚をグッと持ち上げて器用に自らの蹄で掻きだしたのである。
「どうしたんですか、先生」
 不思議に思った楓が訊ねる。
「いや……立ったまま頭を掻けるのは相当体が柔らかいからだ。見ての通り後ろ脚の関節の可動域もかなり広い。いい背中の形もしているし…」
 言いながら自然とその口元がほころんでいた。
「こいつは抜群の素材だぜ」
 小次郎がキッパリ言い切ると和那は満足げに微笑んだ。
「やったあ! それじゃ、この仔をうちに預けてもらいましょうよ!」
 楓は喜びのあまり両手を突き上げて飛び上がった。
 あらためて見つめるほどに目の前の鹿毛馬がよく見えてくる。
 いや、小次郎と和那のお墨付きがあるからそう見えるのだろうが。
 ジークのなだらかな肩の線にそっと手を触れると、しっとりとした毛並みの奥に暖かい温もりがあった。
「秀吉!」
 突然、飛んできた鋭い声に三人の会話が止まる。
 厩舎の入口に視線を注ぐと、そこには青いTシャツにデニム姿の大男が立っていた。
 おびえた様子の秀吉は母親の足にしがみついて、ズンズン歩いてくる父・霧原弦人の姿を見つめた。
 霧原は身長が180cm以上はありそうで、体の大きい男だ。
 むき出しの太い腕は血管が浮き上がっているほど鍛えられている。が、小次郎や犬介のようなたくましさとは違って、空手家や柔道家のそれを連想させる。
 色黒の肌に短く刈り込まれた黒い髪、彫りの深い顔立ちに口元と顎にひげを蓄えていた。
「あなた……」
 馬をもっていた和那は不安そうにつぶやいた。
 小さな息子の前に立った霧原は紅潮させた顔で大きな息を吐いた。
 どうなるのかと思いながら見守っていると、母親の陰に隠れていた秀吉はおずおずと歩み出て、頭を下げた。
「父ちゃん、ごめんね」
 しばしの無言の時間が流れ、馬房のなかにいる馬たちの鼻音や寝わらを踏む音が聞こえた。
「……母ちゃんと婆ちゃんには謝ったのか?」
「うん」
 やや落ち着いた様子の問いかけに秀吉はうなずいた。
「わかった。今度から皆を心配させるようなことはするなよ」
 ウンと答えた息子から、霧原は小次郎に目を移した。
「秀吉を助けてくれた話は和那から聞いた。ありがとう。そして久しぶりだな、小次郎」
 語尾があがる北海道訛りでそう言うと霧原は小次郎に頭をさげた。
「おまえら家族も元気そうだな、ゲン」
 懐かしい再会に2人は握手を交わした。
 隣で話を聞いていると、小次郎は調教師になってから霧原ファームに来ることはなかったらしい。
 ツテも何もない状態での厩舎の船出は何かと苦労が多かったようだが、いきなり親友を頼るわけにもいかなかったようだ。
 いかにも小次郎らしいと楓は思った。
「それがまたひょんなコトから、急に顔を出したっていうわけか」
 そう言うと霧原は、妻の和那が持っている鹿毛馬を見てピンときた表情を浮かべた。
「ジーク……」
「ああ。せっかくだから見させてもらったんだが、いい馬だな」
 小次郎がそう言うと霧原は「そうだろう」と言った。
「ジークの母親のクトネシリカは未勝利で引退したが、おまえには縁の深い馬だ」
「?」
「シリカは、ジャムシードの妹だぁ」
「!!!」
 驚愕の顔をした小次郎はジークの顔と馬体を見つめた。
「ジャムシードの母フロストフェザーの忘れ形見だからな、ここぞとばかりに良い種馬を配合したさ。現役時代のスピアヘッドは勝ちきれないことが多かったが、おそらく精神的な部分で負けていると見ていたから体質的には問題ないと思ってた。生まれたコイツは想像を超えるデキになったなぁ」
 感慨深げにそう言うと霧原はジークの首筋をポンポンと叩いた。
「俺自身も、コイツを小次郎に預けられたらいいとは思うが…」
 言葉を濁して、霧原は落胆のため息をついた。
「何か、問題でも?」
 楓の問いに大男は首を振って両腕を広げる。
「……売れちまったんだぁ。つい今日の夕方のことだ」
 和那を含めた大人たちは、意外な言葉に声を失った。









 黒いジャージとシャツ姿になった楓は用意された柔らかい布団のうえで女の子坐りをしながら携帯を見ていた。
 あれから家に戻り街に帰ろうとしたのだが、祖母キクの強い引き留めもあって今夜は霧原の家に一泊することになったのだった。
『 メール 1件 』
と表示された所で決定ボタンを押すと、ママより、という題名のメールが届いていた。
 楓は母親とのメールのやりとりを大体、二日にいっぺんくらいの間隔でしている。
 とくにこれといった内容でもないのだが母はそれとなく娘の仕事や生活に気にしているようで、最近はこれまでまったく興味もなかった競馬新聞を買って読んだりしているらしい。
 高校三年の夏にJRA厩務員課程の資料が家に届いたときは、猛反対されて大喧嘩になった。
 競馬がどうとかよりも楓が大学に進むと言っていたことを突然ひるがえしたことが母には納得がいかなかったらしく、さんざん罵り合ってお互いボロボロに泣いた。
 楓の家は父親が公立中学校の教師、母もまた高校の音楽教師という公務員家庭である。
 それという特技はないものの、活発で健康的な一人娘に対して両親はやはり安定した進路を望んでいた。
 そのことを楓はよく知っていたし、べつに反抗心があったわけでもない。
 それでも強く主張を押し通して、結局は競馬学校の厩務員課程に入学した。
『最近の競馬は夕方から夜遅くまでやっているのですね。C2、B1とは何ですか?』
 母よ……読むところが間違っているぞ。
 しかしその間違いにもまた簡潔な文章で応えられない。
 楓はふたたび自分の未熟さを感じた。
「はああぁぁぁ」
 なんとかメールを返して布団に仰向けになると、いかにもログハウスらしく透明な塗装がされた木目の天井にある裸の電球がすこし眩しかった。
「あたしってホント…」
 役立たずだな、と心の中でつぶやく。
 忙しかった今日一日のことが思い出される。
 普段はなんとか厩舎作業をこなしているが、失敗は多いし、小次郎にもしょっちゅう怒られている。
 熊五郎のような知識や経験もないし、翔太のような馬の扱いの上手さもない。
 自分はただひたすら頑張ってはいるつもりだが、それだけだ。
 今回もただ車を運転しているだけでそれ以外は何の力にもなっていない気がする……。
 そう思うと無性に胸がしめつけられた。
「楓ちゃん、いい?」
 コンコン、とノックがして扉が小さく開いた。
「和那さん」
 バスタオルを持ってきた和那は楓の充血した目を見て、
「ど、どーしたのさぁ!」
 と血相を変えて部屋に入ってきた。
 気がつかないうちに涙がこぼれていたらしい。本人にとっても意外だった。
「……ナルホドねぇ」
 布団のうえで正座したまま腕を組んだ和那は楓の話を聞いてフムーと唸った。
「楓ちゃんは厩務員はじめて何年目なの」
「二年目です」
「それじゃ仕方ないわよ。もともと競馬の外の世界にいたわけだし」
「和那さんはもともと北海道の出身なんですか?」
 そう聞かれると和那は笑って横に手を振った。
「ぜーんぜん。東京でOLやってた」
「へえー! やっぱり都会の人だったんですね」
「父親が競馬好きでね、家族旅行で日高にきたのが…もう何年前かな。その頃、会社がつまらなくなっていたからそのままこの近所の牧場で住み込みバイトしたの。それがきっかけで気がついたらこんなんなっちゃった!」
 そう言って目を細めてチロッと舌を出す。
「ここんチを手伝うようになってからは大変だったよぉ。ちょうど先代が亡くなって少ししか経ってなくてさ。うちの旦那もお婆さんもああ見えて怒りっぽいし、ちょー大変だった!! なんか思い出してみるとあの時はしょっちゅう泣いてたな…」
「……」
「でね、半年くらい経ってから小次郎っちがうちに来たの。今じゃ考えられないけど、最初の頃は病人かってくらい死にそうだったんだよ」
 そうだ―――と楓は思った。
 霧原もキクおばぁもそうだが、和那はその頃の小次郎を知っているのだ。
「馬のことやら本人のことやらで毎日、ケンカ(笑)。はっきり言って大嫌いだったのね。天下のダービージョッキー様だか知らないけどこっちだって仕事なのよ! みたいな。あはは、わたしも必死だったからなぁ」
「そんな激しいやりとりがあったなんて……ちょっと想像できないですけど」
「うん、まぁ、若さゆえかな?」
 そう言って和那は髪の毛を耳の後ろにやった。
 不意に、両手で口元をおさえる。
 続いて漏れ出たのは揺れ動く心の声だった。
「でもさ、小次郎っちがうちの馬に乗っててあんな大きな事故に遭ったとか、誰も言ってくれなかったんだもん……。牧場の隅っこにある馬頭観音の前でいつも頭を抱えてさ、ずっと泣いていた小次郎っちがあんなに元気になってくれてホント、よかった……」
 そう言って音もなく流れ落ちた涙に、楓はハッとした。
「和那さん」
 心配してその手を握ると、「ごめんね」と和那は無理に笑ってみせた。
「楓ちゃんの話を聞くつもりがどんどん脱線しちゃって昔話になっちゃったね。小次郎っちが急にアポなしで来たりするから思い出しちゃって……ていうか、うちの息子を川で拾ったのか」
 そう言うと涙の跡だけ残してもう笑顔に戻っている。
 ひまわりのような女性だな、と楓は思った。
 その素朴な明るさがきっとこの牧場には必要なのだ。
 和那は咳払いをひとつして、
「楓ちゃんの事、正直まだ分らないけどさ。真剣に悩んだりするのはきっと、そこが楓ちゃんの持ち味なんだよ。力不足だと思うなら少しずつ学んでいけばいいの。気がついたところから直せばいいのよ、最初からできる人間なんていやしないんだから。要はどれだけたくさん気づくかということ」
 と言った。
 そのきりりとした姿に、楓はまじめに頷く。
「はい! ありがとうございます!」





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2008/04/08 03:40 | 未選択

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