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2017/06/29 23:00 |
1章  若月小次郎 1 - ②






                           2
 
 
 


 美浦トレセンの調教コースはいつもならもう人の少ない昼だというのに、今日は多くの厩舎関係者とマスコミの姿があった。
 その数は優に50人を超し、撮影に訪れたテレビカメラも3台ほど見られる。
 ここ数日の晴天続きですっかり乾燥したウッドチップコースには、すでに20頭ほどのサラブレッドたちが騎乗者を背に足慣らしをしていた。すべての馬のメンコ(覆面)や肢巻きは青で統一され、また騎乗者も青を基調としたネオブラッド・ジャパンのチームジャケットを身につけていた。
 コース上にいるのはすべて今年デビューする2歳馬たちだが、その体つきはデビュー前の若駒とは思えないほどに大きく逞しい。
 恐らく半数以上が馬体重500キロオーバーだろう。
 各馬、全身にまとった筋肉の鎧に強靭な力がみなぎり、ただならぬ空気をまとっている。
「鷹司代表。世界的な良血馬をおしみなく投入してきた今年のラインナップにネオブラッド・ジャパン社の意気込みを感じますが、ぜひ来年の目標をお聞かせください」
 コース外にできた人垣の中心で、黒いスーツに身を包んだ大柄な中年男がインタビューのマイクを向けられていた。
 短く刈られた頭髪に貫禄のある顎ひげを生やした、彫りの深い顔立ちをした男。
 年齢はおよそ50歳前後か。穏やかな表情ながらその眼光は鋭かった。
「目標ですか」 
 眉間に刻まれた深い縦じわが言葉を話すたびに生き物のように動くのは、この鷹司忍という男の気質をあらわしているといえるだろう。
 20代半ばでアラブの王族シェイク・マハム・アシドに見出され、当時は一介の競馬留学生にすぎなかった青年が以来30年近く、それまでの人生と同じぐらいの年月を世界規模の生産・育成・競走に携わってきた。
 その経験は凡人には計り知れないものがあるに違いない。
 鷹司は会社法人ネオブラッド・ジャパンの代表であると同時に、UAEドバイ首長国連邦の王族が運営し欧米で旋風を巻き起こしている競馬法人『エクリプス』の東洋エリア統括マネジメントリーダーである。
 彼の周囲には同じように黒いスーツに身を包んだアメリカ、フランス、香港、アラビア系といった数人の人物がインタビューを受けていた。彼らもまたネオブラッド・ジャパンのレーシングスタッフである。
 鷹司は言葉を選びながら、それでいて力強い口調で同社の描く戦略構想を述べた。
「われわれの当面の目標は“日本ダービーとジャパンカップの両レースを制覇すること”です。これまでも海外から参戦した、わたくし共のいわゆる『外国馬』がJCを勝つことはありましたが、今後は日本国内で生産したサラブレッドを中心にデビューから引退にいたるまでのマネジメントを行っていく方針で活動して参ります。
 ご存知のとおり、すでに北海道・日高の門別地区を拠点として広大な牧場施設を開設しており、海外から大物種牡馬や繁殖牝馬の導入をおこなっております。この活動がこれから年月を重ねて日本、ひいては東アジア地域から全世界に至るまでの競馬振興に多大なる貢献を産むことを信じてやみません。これからもなにとぞよろしく、ご指導のほどをお願いいたします」
 その後、鷹司に対する記者たちのいくつかの質問が終わると、20頭の競走馬たちが5頭4組の縦列隊形を組んで一斉にコースを駆けはじめた。
 見事に調教された馬たちは一糸乱れぬ正確さを維持しつつ、やがて徐々にスピードをあげていった。
 まるで高級バレエ団の演技を思わせる華麗かつ優美な動きである。
 3コーナーを曲がると、おのおのが3、4頭ずつの併せ馬となった。
 線を引くような流れる動きで4コーナーからホームストレッチ(直線)へ向かって来る。
 鞍上の指示に従ってスピードをトップギアに入れた競走馬たちが重量感のある蹄音を響かせ、空気を引き裂いて、つぎつぎと人々の前を駆け抜けていく。
 厩舎関係者の間には大きなざわめきが立っていた。
「……こいつら全員、見学に来たのは失敗だな」
 クックック、と低い笑いをもらした男はコースの囲いである白いラチにもたれながら常足で戻ってくるサラブレッド達を見送った。
 その目線は濃いサングラスに隠されて定かではないが、不敵な内心が口元にあらわれていた。
 光沢のある黒銀のスカジャンに革のパンツを穿いた男は身長が170センチ以上あり、競馬関係の人間にしては長身である。クセのない長い黒髪を肩の下までワイルドに垂らした風貌もこの業界にはめずらしい。
「小次郎先生、それじゃまるで他人事ッス」
 隣に並んで立っていた、男よりも頭半分くらいの身長の低い浅黒肌の青年が言った。
 刈り込んだ坊主頭に太く吊りあがった眉。
 その眼には見る者を圧する迫力がある。
 鍛え上げられた逞しい身体にぴったりとした黒いTシャツを着ていて、胸元には金のチェーンネックレスをしておりその下は黒ズボン、光沢のある革靴をはいている。
 両手をポケットに突っ込んだふてぶてしい姿で立つ青年はデビュー2年目の若手騎手、依田犬介である。
 彼ら2人の周りには当然のように人がいない。関係者、マスコミも誰一人として声をかけようとはしないが、それはいつものことだった。
「これも時代の流れだ、仕方ねぇ。それにワリを食うのは有力どころの大厩舎の連中だから弱小勢力の俺たちにはやっぱ関係ないんじゃねぇ?」
 そう言うと尻ポケットからマルボロと青い100円ライターを出し、おもむろに点火する。
 小次郎は視線を人だかりの向こうにやりながら、大きく煙を吐いた。
「あ―っ! また煙草吸ってる! コースは禁煙だって言われてるじゃないですか!」
「チッ、うるせぇのが来たな」
 後ろから大声で駆け寄ってきた厩舎の部下、木下楓に火をつけたばかりの煙草を奪われる。
「あのなぁ楓、調教つけてる馬の背中でスパスパ吸ってるヤツだっているんだから固いこと言うんじゃねぇ」
「そういうマナーの悪い人がいることと、先生が吸っていいかは別問題です!」
 きっぱりと言い捨てて楓は手に持っていた空き缶に煙草をいれた。
「あああっ、もう終わってる!(ガーン…)」
 引き返して行く馬たちの尻を見送って翔太が頭を抱えた。
「やだね……嫌煙家は心がせまくて」
 ラチに背中をもたれ、小声でついた悪態は楓の耳には届かなかった。
 なぜなら、その目線はすでに人だかりの向こう側からこちらに近づいてきた一人の人物に注がれていたからだった。
 小次郎の右の眉が跳ね上がる。
「牧……」
 その人物は柔和な微笑みを浮かべ、小次郎に向かって片手をあげてみせた。
「ひさしぶり。元気そやな?」
 その精悍かつ端正な顔立ちはお茶の間に親しまれて久しい。
 もはや日本が世界に誇る名手、JRA通算2000勝ジョッキーの牧昇二その人だった。
 今年32歳になるが騎手としてはまさに今が花盛りである。その表情には覇気が溢れていた。
 有名人の突然の登場に楓は絶句した。これまで遠くから見る機会は何度かあっても直接、話をする距離にまで近づいたためしはない。
 イタリア高級ブランドの紺色のスーツに白い開襟シャツといったラフな格好にはうっすらとダンヒルの香水が漂っていた。
 心拍数が一気に高くなった楓に対して、来訪をうけた当の小次郎に歓迎の意思はあまりないようだった。
 黒眼鏡ごしにジトーッとした目で見て、咳払いをする。
「押しも押されぬ天才ジョッキーにしてアイドル妻の亭主が、こんなうらぶれた三流トレーナーに何か用かね?」
「いやいや、おまえの厩舎にオレの乗る馬がいてるとは思てへんよ」
 爽やかな顔でそう言うと牧はニッと笑った。
「オークス(優駿牝馬)に出るお手馬の追い切りに来たついでに、鷹司さんトコの有力な新馬を物色しにな☆」
「……あいかわらずだな。牧昇二がいるおかげで若手がチャンスを掴めないなんて言われるご時世だぜ。黙っていたって騎乗依頼なんざ来るだろ」
 あきれた様子で小次郎は言った。
 毎年のように最多勝利騎手・騎手大賞を獲りつづける超人的ジョッキーは左右の目じりに笑いじわを作って、
「アハ。おれもな、必死やねん」
 と言った。
「そら関西にも若くて名前を売ってるやつらはおる。西郷、吉川に一去年の新人賞をとった榊銀河、あとは神薙厩舎の舜坊なんかな。いずれおれもアイツらにお株を奪われる時代が来る。のんきにチャンスなんか与えてる場合とちゃうよ」
「ふ~ん。ま、ウチにとっては雲の上の世界の……大気圏の話だな」
 若月小次郎厩舎は去年の1年間でわずか4勝しか勝ち星のない零細厩舎である。開業してからの3年間の合計でも10勝とほとんど日陰の存在なのだ。
 おまけに所属している競走馬もほとんどが1勝クラスか未勝利の馬ばかりで、小規模とはいえ厩舎経営はけっして楽なほうではない。
 ふと何気ない牧の目線が犬介の方へと向いた。
「おうキミ、知っとるで。去年デビューしたアンチャン(新人騎手)で依田犬介くんやろ?」
 あまり感情を表に出さない表情で、ええ、と控えめに犬介は答えた。
「荒っぽい騎乗スタイルなんて言われているらしいけど、オレはそうは思うてへん。海外にいったらレース中に鞭でばっちばちシバかれるなんて当たり前やし。ま、大きな事故にでもなったらその時は知らんけど……」
 穏やかな口調で言う牧の瞳の奥に一瞬、剣呑とした光が浮かび、犬介は背筋に強い悪寒をおぼえた。
 だがそれも一瞬のことで次の瞬間には、その口元にまた柔和な笑みがこぼれていた。
「で、こっちのカワイ子ちゃんは?」
 突然、話を自分の方に向けられた楓は言葉を失って、しどろもどろになった。
「こいつは去年からうちで厩務員やってる、キノシタ・カエデ」
 と、小次郎が言うと牧は口の端を上げた。
「そうかぁ。最近は女厩務員も多くなって、ええ時代やなぁ。どや、オレのバレットやらへん?」
 バレットとはレース当日の騎手の仕事を手伝う助手のことである。
 楓は両手を顔の前でブンブン振った。
「ええ――っ!! む、無理です!!」
「はは、残念やなぁ」
「す、すいません」
「冗談に決まってんだろ……」
 小次郎が横でぼそっと言う。
「ふむ。世界の牧くんから見て今日の2歳馬たちはどうだね?」
 そう尋ねられると困ったように牧は頭を掻いた。
 少しして、
「――実際に乗ってみないとわからんけど、二番手グループにいた流星の鹿毛。あれは強い。大っきいトコは間違いないな」といった。
「お、あの地味ながら目立ってたやつか」
「柔らかくて、バネがあって、眼に止まる。利口そうやったしな。ああいうのはたいがい距離もつし、好きやなぁ」
 そう言いかけたところで牧は遠くから若い騎手風の青年に呼ばれて振り向き、
「ああ、いま行く!」
 と返事をした。
「それじゃあオレ、これから鷹司さんと食事会やから☆」
 そういい残すと牧は颯爽と人だかりの方へと立ち去っていった。
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2007/06/29 20:33 | Comments(0) | TrackBack(0) | 未選択

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